少年ジャンプで連載中の大人気漫画「逃げ上手の若君」(逃げ若)。
漫画「逃げ上手の若君」は主人公の北条時行が敵から逃げて英雄となる生涯が描かれています。
そんな、北条時行は史実の人物だったのか、そして実在する人物ならどんな人物だったのかと気になる人がいるのではないでしょうか。
また、史実の北条時行の最後や漫画と事実の違いも気になるところです。
「逃げ上手の若君の北条時行の史実」について以下のことを調べてみました!
- 逃げ上手の若君の北条時行は史実の人物で最後はどうなる?
- 逃げ上手の若君の漫画との違いは?
今回は「逃げ上手の若君の北条時行は史実の人物で最後はどうなる?漫画との違いは?」と題して記事をお届けします。
逃げ上手の若君の北条時行は史実の人物?
逃げ上手の若君の主人公である北条時行(ほうじょうときゆき)はオリジナルキャラではなく、史実にある実在した人物です。
本日6月21日は、北条時行公の御命日である。
— 右衛門佐 (@Bando0817) June 21, 2024
時行公は、北条高時の次男であり、鎌倉幕府滅亡時は諏訪頼重の手引きで脱出し諏訪に匿われた。
その後、頼重に擁立されて中先代の乱を引き起こして以降、父・高時の仇である後醍醐天皇や新田義貞の子・義興らと手を結び、鎌倉を3度奪還することに成功した。 pic.twitter.com/MEsWmXsUlt
北条時行は北条氏得宗家当主の北条高時(ほうじょうたかとき)の次男になります。
北条時行の生年は歴史資料が少ないため、不明になっています。
しかし、金沢貞顕書状では北条高時の文字で、今度御出生の若御前がいることが判明。
これが、北条時行なら元徳元年(1329年)12月頃の生まれことになります。
北条時行の子供時代に鎌倉幕府が滅亡?
史実上北条時行の出生ははっきりしませんが子供時代(4歳)に鎌倉幕府が滅亡しました。
鎌倉幕府が滅亡したのは、足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐天皇(ごだいてんのう)に寝返ったことで滅亡しました。
こうして元弘3年の本日、283人の北条一族と被官、後に続いた兵を含めた870余名の人々が鎌倉幕府滅亡と共に亡くなった。
— 右衛門佐 (@Bando0817) July 4, 2024
現在、東勝寺には北条一族を弔った腹切りやぐらがある。
また、北条一族を弔ったと伝えられる釈迦堂奥やぐら群からは、元弘三年五月廿八日の銘が掘られた五輪塔が発掘されている。 pic.twitter.com/eAduv8jM0X
後醍醐天皇に寝返ったことで、京都の六波羅探題を壊滅させてしまいました。
このときに、新田義貞が鎌倉を攻めてきます。
鎌倉攻めが行われたことで、北条一族や家臣は追い詰められて自害したそうです。
なので、足利尊氏が寝返り、新田義貞に追い詰められたことで北条一族は自害して鎌倉幕府は滅亡してしまいました。
まだ幼かった北条時行は鎌倉から逃げ信濃へ逃亡しました。
北条時行が信濃へ逃亡できたのはなぜ?
北条時行が信濃へ逃亡できたのは、諏訪頼重(すわよりしげ)が鎌倉から脱出させたので信濃へ逃亡することができました。
歴史好きの私でも北条時行についてはそれほど知らない。北条得宗家・高時の息子で鎌倉幕府滅亡後信濃に逃亡、2年後中先代の乱を起こして一時鎌倉を奪還、しかしまた敗れて逃亡して今度は後醍醐天皇に降り、南朝の武将として鎌倉を再奪還、くらいか。あらすじだけでめっちゃ面白そう。#逃げ上手の若君
— たこすゆーき (@topguncross) January 26, 2021
鎌倉幕府が滅亡したときは、北条時行はまだ幼かったことが判明しています。
鎌倉から脱出した北条時行は、諏訪頼重の本拠地である信濃に身を置くことになります。
逃げ上手の若君の北条時行の史実の最後はどうなる?
史実の北条時行の最後は足利方に捕らえられてしまい処刑されてしまいます。
逃げ上手の若君 1話
— はまち (@oregairunomber1) July 7, 2024
北条時行について調べたんですが2年後に鎌倉を奪還=英雄というのは正史通りで諏訪家に匿われるのも正史通りでどこまで正史に乗っ取ってやるのか。最後は足利家に取られられて処刑されてしまうらしいんですが3回も鎌倉奪還に成功し、負け戦を↓↓↓
#逃げ上手の若君
北条時行が処刑されるまでの歴史は以下になります。
正平7年/文和元年(1352年)、時行は再び義興らと共に武蔵野合戦で戦い、初代鎌倉公方足利基氏を破って3度目の鎌倉奪還を果たした。しかし、この奪還も短期間に終わり、逃走を続けるも、翌年、足利方に捕らえられ、鎌倉龍ノ口(神奈川県藤沢市龍口)で処刑された。
引用元https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%99%82%E8%A1%8C
足利方に捕らえられたしまったことで処刑された北条時行ですが実は逃亡して名前を変えて生き延びた説もあるのでご紹介します。
北条時行の生存説とは?
1353年に処刑された北条時行は影武者で、本人は伊勢に渡って名前を「伊勢次郎」として生涯を終えたという説が判明しています。
執権北条氏最後のプリンス、北条時行またはその影武者は家臣達はここで20代半ばで短くも炎のような激動の人生をここで終えたのかと思います🤔
— koji😈Cilvie (@sixx_0202) February 29, 2024
時行は愛知県と長野県で生存し生涯を終えた説もあり現代にも子孫がいます。
どの道江ノ島〜腰越が彼らの最後の地です。
いつか長野のお墓に行きたいね! pic.twitter.com/CIDkUjVFOp
また、伊勢次郎から行氏⇒時盛⇒行長⇒氏盛と系譜をつなげていることで1353年に処刑された北条時行は影武者なのではとされています。
この説はあくまで伝説に近い逸話です。
ですが、漫画「逃げ上手の若君」の北条時行は史実とは違う最終回を迎えて欲しいですね。
逃げ上手の若君の漫画と史実の違いは?
漫画「逃げ上手の若君」と史実の違いは「ストーリー展開」です。
逃げ上手の若君一話視聴完了。
— Lin a.k.a. 鎖骨丸 (@lin_352) July 7, 2024
創作である以上史実との違いはあるとわかっていてもやはり史実に基づいた話は面白い。
でもこうまで作品によって様々な描かれ方をする足利高氏は不思議な人物だなぁと。
やあ、逃げ上手の若君を観ているよ。 https://t.co/neRZruLvST
史実の北条時行は鎌倉を奪還するために戦っていました。
漫画「逃げ上手の若君」の北条時行は足利尊氏に復讐を誓いながら仲間たちと冒険する姿が描かれています。
鎌倉幕府の時代を舞台にしていますが、漫画「逃げ上手の若君」は物語を面白くするためにフィクションが多く描かれています。
なので、漫画「逃げ上手の若君」と史実の違いは「ストーリー展開」になります。
まとめ
「逃げ上手の若君の北条時行は史実の人物で最後はどうなる?漫画との違いは?」を最後までご覧いただきありがとうございました。
今回は「逃げ上手の若君の北条時行は史実の人物」についてをまとめてきました。
- 逃げ上手の若君の主人公である北条時行の史実の人物は、北条高時の次男と判明。
- 史実の北条時行の最後は足利方に捕らえられてしまい処刑されたことが判明。
- 漫画「逃げ上手の若君」と史実はストーリーの展開が違うことが判明。
史実では、足利方に捕らえられ処刑されてしまった北条時行。
漫画は「逃げ上手」がテーマになっているので、敵から上手く逃げながらハッピーエンドを迎えて欲しいですね。
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