逃げ上手の若君(逃げ若)の摂津親鑑の娘として登場した「摂津清子」。
清子は、北条時行の婚約者でした。
しかし鎌倉に新田義貞軍が攻めて来たときに、清子は殺害されます。
アニメや漫画の清子の死亡シーンの「その娘・清子 略奪の上惨殺」の略奪がネットではどういう意味なのか疑問を持っている人が多いようです。
また、清子の史実や史実の最後も惨殺なのかも気になるところです。
そこで、今回は「逃げ上手の若君の清子」について以下のことを調べてみました!
- 逃げ上手の若君の清子の略奪の意味は?
- 逃げ上手の若君の清子の史実の最後も惨殺?
ということを「逃げ上手の若君の清子の略奪の意味は?史実の最後も惨殺?」と題して記事をお届けします。
逃げ上手の若君の清子の略奪の意味は?
逃げ上手の若君の清子の略奪の意味は「凌辱」表記ではないかと言われています。
逃げ若
— NoLife犬 (@no_life_inu) July 6, 2024
あと第一話の主人公の許嫁清子の惨殺について言及しておくと
・なぜ殴った痕があるのか
・なぜ衣を剥いだのか
・「略奪の上、惨殺」の意味
これはぼかしているがたとえ幼い身の子供でも女性である以上、そういうことがあるという描写
だから武家の女性は自害することが多い pic.twitter.com/Ah1MSpY14I
本来の略奪の意味は、暴力行為や他人の所有物を奪取する行為になります。
作中で清子が敵軍に襲われた時に、はだけた服装で殺害されてしまいました。
そのため、清子は敵軍に、性的暴行を受けたように描かれています。
そのことから、ファンからは凌辱の意味で「略奪」表記が使われたのではという意見もあります。
ちなみに、作品で清子が性的暴行を受けたと明言されていません。
なので、あくまで清子が性的暴行を受けたという可能性があるという意味の考察になります。
逃げ上手の若君の清子の略奪のシーンは漫画の何巻何話?
逃げ上手の若君の清子の略奪は漫画の1巻1話になります。
清子は北条時行と婚約していました。
しかし、新田義貞軍の略奪に遭い、清子は無残に命を落とします。
清子が殺害されたことで序盤の物語において大きな悲しみとなったシーンです。
逃げ上手の若君の清子はどんなキャラ?
逃げ上手の若君の清子は摂津親鑑(せっつのちかあき)の娘として描かれているキャラクターになります。
逃げ若のガメついモブ顔ヒロイン、主人公と同年代だしナレーションと同じ声だしop・edにもいるし流石に生存だろな〜と思ってたら、第一話でサラッとボコボコ凌辱されて斬られてて顔ない
— ジャベリューン (@javeleun) July 9, 2024
摂津清子の存在自体は創作なんだけど、鎌倉時代のリアリティってこうなんだよな…… pic.twitter.com/eKxvW6P8ZZ
清子は北条時行と幼馴染のことから、作中では時行と遊んでいたところも描かれています。
北条時行が得宗家を継ぐことで、清子は時行の許嫁になると思っていました。
しかし、得宗家を継ぐ気がない時行は、清子の顔を見るたび逃げまわっていたそうです。
逃げ上手の若君の清子の史実は?
結論から、逃げ上手の若君の清子は史実に登場しないオリジナルキャラになります。
逃げ上手の若君、1話に摂津親鑑が出てくるけど、麒麟がくるにも登場した摂津氏の一族で、太平記では仕えた北条高時役を片岡鶴太郎氏が演じているのがまた興味深い。 pic.twitter.com/Ub3mAH1X8N
— aki@東北 (@aki_miyagi89) January 24, 2021
清子の父である摂津親鑑は史実に実在した人物と歴史の記録にあります。
摂津親鑑には息子がいましたが、娘がいたことは正式な記録は残っていないそうです。
摂津親鑑の息子とは?
摂津親鑑の息子は「摂津高親」になります。
摂津高親は鎌倉時代末期の武士で北条高時に仕えていました。
能吏として優れ、幕府中枢で重用されていた摂津親鑑の子として誕生。高親も得宗・北条高時に仕えて引付衆を務めたようである。また、元徳2年(1330年)2月の段階では官途奉行であったことが判明している。また、元徳2年(1330年)2月の段階では官途奉行であったことが判明している。
引用元https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E6%B4%A5%E9%AB%98%E8%A6%AA
父と同じく高親も権力を発揮した武士であったことが歴史の記録に残されています。
逃げ上手の若君の清子の史実の最後も惨殺?
逃げ上手の若君の清子は史実に実在しないので最後は惨殺されていません。
しかし、清子の父である摂津親鑑は史実の最後は切腹したと伝わっています。
鎌倉幕府が新田義貞の攻撃により滅亡した際には、北条一族初め幕府の要人らと共に滅亡に殉じたとされ、自害に際しては長崎高重から「自分の自害を肴に一献傾けて欲しい」と頼まれ、「かような肴を献じられては、下戸でも飲まないわけには行かない」と、快諾して一献傾け、切腹したと伝わる。
引用元https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E6%B4%A5%E8%A6%AA%E9%91%91
そのむすこである高親も史実の最後は切腹したと歴史の記録に残されています。
まとめ
「逃げ上手の若君の清子の略奪の意味は?史実の最後も惨殺?」を最後までご覧いただきありがとうございました。
今回は「逃げ上手の若君の清子」についてをまとめてきました。
- 逃げ上手の若君の清子の略奪の意味は「凌辱」表記ではないかと言われている
- 逃げ上手の若君の清子は史実に登場しないオリジナルキャラ。
- 逃げ上手の若君の清子は史実に実在しないので最後は惨殺されていない。
新田義貞軍の略奪で死亡してしまった清子。
運よく生存できていれば、清子は令嬢のことから北条時行の心強い味方になった可能性もある少女でした。
鎌倉を取り返すときに、北条時行には清子の無念も晴らして欲しいですね。
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